歴史の勉強で一番アツいのは戦国時代だと思う人は多いですよね?
歴史は難しくて苦手だけど、戦国武将はカッコいいよね。
最初の天下人・三好長慶は
- 徳島生まれの最初の天下人
- 親の仇の下で働き、下剋上をした
- 後の天下人のモデルケースになった
全国統一が成功したのは、三好長慶の功績が関係していたのではと言われています。
勉強では難しかった情勢にもサラッと触れていきましょう!
天下人のパイオニア
戦国時代が始まったのは「応仁の乱」がきっかけと言われています。
元々は足利政権の後継者争いだったのですが、ヒートアップして約11年も続きました。
戦によって京都はボロボロ…人が住めなくなって、足利政権の力も弱くなります。
これまでは京都で将軍を守っていた大名(守護大名)たちも別の土地に行き、自分たちの国を作りながら思いました。
「俺が天下を取るしかない!」
そうして生まれたのが戦国大名なんです。
逆に競争相手が減った守護大名の座を守って、力を付けた勢力もいました。
足利政権でトップだった細川家がそのタイプですね。
そんな波乱の時代に、徳島県で生まれたのが三好長慶でした。
徳島生まれの天下人
三好長慶は、細川家重臣の三好家長男として生まれました。
母の願い通り、長慶は幼い頃からその力を発揮。
11歳の時、上司だった細川春元の策略で亡くなった父・元長の跡を継いで当主になります。
元長の策略は三好政長(長慶のおじさん)が手を引いていたのですが、これはまたのちほど。
長慶は、当時頻繁に起きていた僧侶が起こした一揆(一向一揆)をおさめて名有名になりました。
上洛した長慶は、父が治めるはずだった河内(大阪)17ヶ所の所有を幕府に認めてもらおうと徳島から兵を率いて直談判。
しかしその土地を治めていたのは三好政長でした。
お父さんを裏切った人だ。
小競り合いの後、一応の和解して摂津(大阪と兵庫の間)を入手。
長慶はその後も勢力を拡大、春元にも迫る勢いで力を付けていきます。長慶の時代が始まろうとしていました。
三好政権のはじまり
当時の細川家は、バリバリNO.1だった晴元が弱体化していました。
そんな中出てきたのが、春元を追い出してやろうともくろむ細川氏綱。
春元は長慶を派兵し、氏綱を何度も追い出しました。
氏綱は負けてしまいましたが、
なんと春元側だった足利将軍が氏綱側に付きます。
春元より氏綱の方が有利では、と思っての行動でした。
同じ時期、長慶の方はだんだん横暴になる三好政長が目障りになってきます。
しかし、政長を倒すことは上司の春元にも背くことになります。
長慶は決意しました。
男ならやるしかないね。
長慶は氏綱の味方につき、三好政長を討伐・細川晴元を追放!
この時四国からも援軍がありました。
長慶は四国(徳島・香川)の大名と協力関係をずっと結んでいて、その中でも水軍が強い味方になります。
故郷を離れた長慶がここまで戦ってこられたのは四国の協力あってのこと。
のちに攻め込んでくる足利将軍も追い返し、実権を握ります。
その後も近畿のほとんどの地域を制圧、勢力は徳島・香川・愛媛の一部にまで拡大。
地元の人や天皇も足利ではなく三好を頼るようになり、日本に来たキリスト宣教師の人も天下人として長慶を認識します。
しかし三好政権が続いたのはわずか5年ほど。
身内の不幸が続き、三好政権は終わりを告げ、
織田信長などの戦国大名が出現、戦国時代の最盛期が始まるのです。
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天下人のモデルケース
長慶の政治に対する姿勢は、その後の天下人と共通する部分があります。
【天下人の刀】
織田信長が所持していた刀に、「宗三左文字」という刀があったことを知っていますか?
天下人の刀と言われ、今川義元・秀吉・家康と天下に近い人が持っていた刀でした。
「宗三左文字」の最初の所有者は三好長慶、かつては「三好左文字」と言う名前だったんですよ。
【大阪に目を付けた】
大阪は「天下の台所」として経済に欠かせない場所です。
長慶が三好政権で政治を行っていたのは大阪でした。
父が治めていた土地、という理由もありますが大阪の重要さに真っ先に気づいたんでしょうね。
【幕府の力を借りない】
長慶より前の政治は、幕府の将軍が指揮を執って大名や市民が命令に従っていました。
将軍より強い権力の大名が居ても、一応将軍は置いておく形でしたね。
三好長慶は従来の形を壊して、将軍をたてることなく政治を行っていました。
三好長慶がいなかったら、全国統一はもっと違った形になっていたかもしれません。
まとめ
今回は徳島から生まれた天下人・三好長慶について紹介しました。
- 戦国時代最初の天下人は徳島生まれ
- 親の仇の下で働き、下剋上でのし上がった
- 後の天下人の道筋を作った
四国は戦国時代ではあまり目立たない地域ですが、最初の天下人は徳島で生まれていました。
他にも同じ時代では、足利14代将軍となった足利義栄(よしひで)が徳島出身。
阿波公方(あわくぼう)と呼ばれ、短い期間ですが将軍として君臨していました。
自分の住む地域は有名な武将が居ないから、と思っても調べてみたら意外な所でつながる事があります。
地元の歴史に一度目を向けてみるのも、面白い発見があるかもしれませんね。