嫌なことが続くと、お参りに行きたいと思う時がありますよね?
悪い流れがスパっと切れたら安心するけど、お祓いをするのはちょっと大げさな気がするな。
と悩んでいる人も多いのではないでしょうか。
好ましくないものを断ち切ったり、逆に良いものを呼ぶ神様に「崇徳天皇」が有名です。
縁切り・縁結びの神様「崇徳天皇」は
- 「日本三大怨霊」の一人としても有名
- 権力争いに負け、香川に島流しになった
- 実はもともと怨霊ではなかった
名前は知っていても、香川にゆかりがある事はあまり知られていません。
どういった関係だったのか、見てみましょう。
香川と崇徳天皇の関係
縁切り・縁結びの神様として有名な崇徳天皇。
軽い気持ちでお参りすると、大変なことになる程の効果があると言われています。
ご利益の強さには、日本でもトップレベルの「怨霊」としての一面が関係しています。
生きている時の恨みが強いほど、魂を鎮めた後の力もマシマシになるそうですよ。
日本三大怨霊とは
怨霊は強い恨みを抱いて亡くなった人が、この世に災いをもたらす存在として蘇ったものです。
そんな中でも特に力が強大な「日本三大怨霊」と言われているのは
●菅原道真(845年~903年)
●平将門(903年~940年)
●崇徳天皇(1119年~1164年)の3人
どの人も平安時代に、国家に謀反を企てて失敗したという共通点があります。
更に、最大級の怨霊と言われているのが崇徳天皇。
後世の創作では、崇徳天皇は天狗をまとめるボスになっていたりもします。
天狗は、人を魔道(悪魔が住む場所)へ連れて行く魔物ですね。
そんな伝説が残っているなんて、さぞかし怖い人だったのだろうと思いますよね。
実はこの伝説自体が、後付けの設定だったりするんです。
香川との意外な関係
まずは、香川県と崇徳天皇の関係を話しましょう。
1156年、京都で保元の乱が起きました。(後白河天皇vs崇徳天皇)
後継争いとして起きたこの戦は崇徳天皇が敗北し、罰として香川へ島流しの刑にあいます。
どうして流される先が香川だったんだろう。
重い罪を犯した人は、京都から離れた所へ島流しするのが通例だったからです。
罪の重さから距離が決められていて、四国周辺は一番罪の重い「遠流(おんる)」の地とされていました。
崇徳天皇は京都へ帰還する事を願っていましたが、その願いはかないませんでした。
崇徳天皇の最後と地となった香川には、逸話の残る場所がたくさんあります。
1.鼓岡神社(祭神:崇徳天皇)
崇徳天皇が最期を過ごした神社。
2.白峯寺(四国霊場第81札所)
崇徳天皇のお墓・白峯陵(しらみねのみささぎ)があるお寺。
建造物など、重要文化財が数多く存在しています。
3.青海神社・西行のみち
西行法師が崇徳天皇の死後、青梅神社から白峯寺までを通ったとされる道。
崇徳天皇と西行法師の歌が彫られた歌碑が90基近くあります。
4.八十場(やそば)の霊泉
霊力が宿る泉として有名なパワースポット。
崇徳天皇が亡くなってから、かなりの日数をこの霊泉の中で過ごしたそうです。↑八十場(やそば)の霊泉。
また崇徳天皇は和歌の名手としても有名でした。
香川で歌われた句も残っています。
思ひやれ 都はるかにおきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを
京都に思いを馳せながら、はるか遠い土地で生きる心細さを歌ったもの。
こうして見ていると、怨霊になりそうな雰囲気はないような気がするな。
香川で過ごした日々からは、亡くなった後も「怨霊」として災いを招くようなものは感じられません。
むしろ極楽浄土の道を求める信心深い方だったそうですよ。
それではどうして崇徳天皇は「日本三大怨霊」として有名になってしまったのでしょうか。
怨霊と呼ばれた理由
1200年代頃成立したとされる「保元物語」では下記のように記されています。
計200巻もの「五部の大乗経」を三年かけて写経。
京都に供えてもらう事を願うが、拒否され憤怒。
生きながら天狗になって人々に災いをもたらした。
しかし、1170年に成立した「今鏡」という歴史書には、怨霊になるきっかけの写経のくだりがありません。
むしろ「どれほど寂しい思いをしただろうか」と同情的でもありました。
たった30年の間に何があったんだろう。
色々な説はあるのですが、一番の決め手は江戸時代。
浮世絵や歌舞伎などの創作で、「日本三大怨霊」が題材として大いに流行したのが今に至っているようです。
しかしそのおかげなのか、崇徳天皇の御霊は明治時代に京都へ戻る事が出来ました。
後世の創作が、実際の歴史とは違った印象を残す事は珍しくありません。
こういった点も、歴史をひも解く醍醐味かも知れませんね。
崇徳天皇ゆかりの地の詳細
今回はたくさん紹介したので、その中でも特に縁の深い場所【白峯寺】をピックアップ。
●住所:香川県坂出市青梅町2635
●参拝時間:7:00~17:00
●TEL:0877-47-0305
●HP:白峯寺 四国霊場第81番札所
まとめ
今回は、崇徳天皇と香川県の関係について紹介しました。
- 怨霊は、後の世で付けられた逸話
- 余生は香川で静かに過ごしていた
- 解脱を願う信心深さから、縁切り・縁結びの神様となった
その人生を香川県で終え、後に「怨霊」として私たちに周知された崇徳天皇。
本当の事は、調べてみても分からないのかもしれないな。
一説によると、崇徳天皇は四国全体を守っているとも言われています。
この説は推測の域を出ないのですが、もしそうだとしたら心強いですね。
皆さんも、もしかすると身近に有名な歴史上の人物が居るのではないでしょうか。
気になったら一度調べてみてるのも面白いかもしれませんね。
※当記事は個人の見解です。
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