愛媛県

癒しの空間へタイムスリップ!新居浜市「旧広瀬邸」でほっと一息

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癒しの空間へタイムスリップ!新居浜市「旧広瀬邸」でほっと一息

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バタバタした日が続くと、気分転換をしたくなりますよね?

旅行に行きたいけど、忙しいとそれも難しいなあ。

新居浜市の「旧広瀬邸」は

  • 明治時代ほぼそのままのお屋敷
  • 自然に囲まれた美しい中庭
  • 新居浜市の発展を担った人の軌跡が見れる

和洋折衷の素朴ながらに美しい空間が広がっています。

写真が趣味の方にもピッタリなスポット。

近場でひととき、いつもとは違った時間を過ごしてみましょう。

明治時代へタイムスリップ

愛媛県新居浜市にある「旧広瀬邸」は、明治時代に建てられた近代建築物。

亀池周辺を含めた庭園が名勝、建築物が重要文化財に指定されています。↑↑表門前の石碑。

とても立派な表札みたいですね。

住んでいたのはこの方↓住友家の初代総理人の広瀬平(さいへい)です。

新田の開発に失敗した土地を広瀬宰平が買い取り、まず茶畑と製茶場を作ります。↑↑元茶畑の桜園。

現在は新居浜市の有名なお花見スポットになっていますね。

その後は住んでいた母屋を移築しながら増築を行い、1889年に屋敷は完成。

伝統的な日本家屋に西洋の要素を取り入れた、当時最先端のお屋敷でした。
↑↑北煉煉瓦塀。

煉瓦の壁と、屋根の上に付いている避雷針は西洋の最先端のもの。

新しいものが好きな人だったのかな?

そんな「旧広瀬邸」の屋内はどんな感じなのでしょうか。

早速行ってみましょう。

自然と一体化した内庭

こちら↓が表門です。入り口から漂う雰囲気が違いますね。

入館手続きを済ませて、まずは内庭へ向かいます。
催し事があった時に利用される迎賓空間。

昔はバラやボタンが植えられた洋風庭園のゾーンもあったそうです。

藁ぶき屋根の小さなお堂は「指月庵」という茶室。
園遊会の時はここで紅茶や煎茶がふるまわれました。

自分の家で作ったお茶を出してたのかな。

↑こちらは「潺潺亭(せんせんてい)」という東屋。

いわゆる休憩所ですね。
一息つきながら煙草を吸ったりしていたそうです。

潺潺(せんせん)は水の流れる様子を表しています。

なんて優雅な喫煙所なんだろう。

さらに奥へ進むと、お寺と神社があります。
↑↑靖献堂。↑↑広脇神社。

広瀬家の個人的な神社とお寺なんですよ。

お寺と神社って個人で持てるものだったっけ。

更に奥を進むと書庫(煉瓦文庫)があります。中には入れませんが、本棚が見えますね。

広瀬満正(宰平の長男)が地域の人達向けに建てたものです。

息子もしっかりした人だったんだなあ。

今回はスマートフォンで撮影したのですが、本格的なカメラでも撮り応えがありそうでした。

当時の姿を残した建物

さて、一度中庭入り口に戻って屋敷へ向かいましょう。

建物内は土足禁止です。入り口からもうすでにタイムスリップ状態!

全体的に天井が低かったのが印象に残っています。

部屋の中は暗めですが、窓が大きいので光が良く入ります。
明治時代ではまだ珍しかったガラスは当時のまま。

現代のガラスとはまた違った温かみを感じますね。

本座敷の窓際。

まるで老舗旅館みたいだなあ。

そして宰平お気に入りの場所だった部屋がこちら↓
火鉢と掘りごたつ、暖炉まであります。

宰平はかなりの寒がりで、この部屋によく居たんだそうです。

更に奥へ進むと料理場があります。
本格的な製茶機や、当時の台所用具も展示されていました。

人が入れそうなサイズの窯も発見。どんな用途で使われたのでしょうか。

当時の冷蔵庫もありました。

この時代はどうやって料理をしていたのか、想像が膨らみますね。

お次は二階へ向かいます。
階段はとってもコンパクトで急です。

手すりもかなり低めなので足元には注意してくださいね。

のぼった先の部屋の奥には、なんと洋式トイレ。

明治時代に洋式トイレ…最先端すぎる。

和洋折衷、ここに極まれりですね。

一番の見どころは望煙楼からの風景。↑↑表門側が丸見え。

北側からは、亀池周辺が見渡せます。
天気が良かったら海の方まで見えそうですね。

昔のお金持ちってこんな気分だったのかな。

後から分かった悲しい事実…一階の新座敷へ行くのを忘れてしまっていました!
↑↑中庭から見える新座敷。

接待館として建てられた場所で、旧広瀬邸の中では一番広い場所です。

中の様子は実際に行って確認してみて下さいね。

新居浜近代化のシンボル

明治という激動の時代、別子銅山も例外ではありませんでした。

大政奉還をきっかけに、新政府側だった土佐藩に銅山を差し押さえられてしまうのです。

そんな別子銅山の危機を救ったのが広瀬宰平。

「銅山の経営を分からない人には宝の持ち腐れなので、私たちに経営させて下さい!」

という文書を土佐藩に送っています。

かなり強気な内容ですが、本気で別子銅山の事を考えていたからなんでしょうね。

部下を西洋技術を学んだり、自分自身も様々なことに取り組んで別子銅山の近代化に努めました。

その後も別子銅山は発展を続け、1973年の閉山まで新居浜市を支え続けたのです。

新居浜市が工業の街として栄えたのも、広瀬宰平のお陰ですね。

旧広瀬邸の詳細

観覧料:550円(18歳未満および大学生は無料)
開館日:月曜日・国民の祝日の翌日(日曜は除く),12/29~1/3
開館時間:9:30~17:30(受付は17:00まで)
駐車場有(無料)

広瀬宰平の誕生日(旧暦)の5/5は毎年無料で開放されています。
*新居浜市パワースポットの記事
合わせて読みたい新居浜市の記事①

まとめ

今回は愛媛県新居浜市の「旧広瀬邸」について紹介しました。

  • 明治時代に建てられた和洋折衷のお屋敷
  • 迎賓空間として使用されていた中庭
  • 別子銅山を守った広瀬宰平の生活が垣間見れる

新居浜市で気軽に非日常を味わえるスポットです。

写真をじっくり撮りに行くも良し、現実から離れてほっと一息つきに行くも良し。

忙しない日常を忘れ、ひととき明治時代へタイムスリップしてみませんか?

*合わせて読みたい新居浜市の記事②

>>新居浜コーヒー豆専門店「珈琲BEANS一休」こだわり派にスペシャルな1杯

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