本を読んでいると、作者がどんな人なのか気になりますよね?
作者の人となりで、作品の印象が変わる事があるのが面白いな。
明治時代に俳人、随筆人として活躍した正岡子規は
- 様々な分野に挑戦した野心の人
- とんでもない食いしん坊だった
- あっけらかんとすべてを見つめた人
素朴な俳句からは想像できない面白エピソードが盛り沢山。
俳句からでは読み取れない、子規の面白エピソードを見ていきましょう。
現代文学の架け橋
正岡子規と言えば、こちら↓の写真が真っ先に浮かびます。子規は、1867年に伊予国温泉郡藤原新町(愛媛県松山市華園町)に生まれました。
22歳の時に結核を発症、35歳で亡くなるまで精力的に作品を発表した野心の人です。
「ホトトギス」という雑誌の発行に携わり、後の文豪が生まれるきっかけを作りました。
初めは海南新聞(現在の愛媛新聞)から発行されています。
現在も現役の雑誌なんですよ。
病気と闘いながら文学に励む姿が印象的な正岡子規。
実はかなりの大食いだったことは知っていましたか?
あっけらかんと大食漢
正岡子規の食のエピソードは多く、どれもがインパクトの強いものばかりです。
何よりビックリするのが一日の食事量。
↓
昼:めじの刺身(まぐろの幼魚)、粥4椀、焼茄子、梨2つ
↓
間食:梨3つ、紅茶1杯、菓子パン数個
↓
夕:鶏肉、卵2つ、粥3椀余、煮茄子、わかめ二倍酢がけ
病人が食べていたとは思えませんね。
寝たきりになる前は、便所に火鉢を持ち込んで牛肉を焼いていたなんてお話も。
汲み取り便所の上で焼肉はすごいなあ。
体に良いと聞いて牛乳も良く飲んでいましたが、味はあまりお気に召さなかった様子。
夏痩や牛乳に飽て粥薄し
と愚痴のような歌を残しています。
刺身代イコール家賃
子規は刺身を好んで食べていました。
子規の収入は新聞社とホトトギスからの五十円。
家族を養いながら療養するには少なかったようです。
「確かにちょっと贅沢をしすぎたかもなあ。」と思った子規は、今月の支払いを書き出してみました。
そこで衝撃的な事実が判明。
なんと家賃と同じくらい刺身にお金を使っていたのです。
予想以上の出費にビックリしましたが、それでも「まあいいか」と懲りずに刺身を食べ続けます。
後に、門下生の高浜虚子にお金を借りて誕生日祝いをしています。
死後、誰カ返シテクレルダロークライノコト也。
自分が死んだ後、お金が返ってこなかったら家の中のものを担保にしてねと言い残した子規。
己の死期を悟りながら、それでも飄々とご飯を平らげる姿が想像できますね。
漱石にウナギをたかる
子規と同じく、松山にゆかりのある文豪で知られる夏目漱石。
実はこの二人、文科大学(東京大学)で同級生だったんです。
出会ったのは二人が22歳の頃。
共通の趣味の落語から意気投合しました。
「漱石」偏屈者という意味で、元々は子規の俳号。
名前をあげるなんて、凄く仲良しだったんだね。
一緒に居た期間は短いですが、お互いを尊敬しあう親友でした。
漱石が松山の教師として赴任していた時に、子規が50日ほど家に転がり込んでいた時期も。
そこでも子規の食欲が爆発しています。
後に漱石は語っています。
彼は家主の許可なしに勝手にウナギを頼んで食べるんだ。
ほかにも頼んでいたものがあったけどウナギが一番印象に残っているなあ。
彼が東京へ戻るときも、ウナギを頼んで食べた後「君、払っておいてよ」って言うんだよ。
しかもその後十円貸してくれまで言われてしまった。
そのお金は奈良で使い果たしてしまったみたいだよ。
気を許した友人だからでしょうか、漱石も「困ったやつだなあ」と笑いながら話しています。
漱石に借りたお金で楽しんだ奈良にて、子規の一句。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
呑気に柿をほおばりながら、法隆寺を眺めて歌ったのでしょう。
*ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石 上↓↓
くだもの命
子規はとにかく果物が好き。
お医者さんに果物をやめるように言われると、生き甲斐が無くなる!と言い放ったほど。
大ぶりの梨なら6~7個、ミカンなら20個、大好物の柿(大きめ)は7~8個は食べたそうです。
1日のメニューでも果物をたくさん食べていたね。
お医者さんもお手上げ。
うちの林檎を贈るからせめてそれにしてくれと言ったそうです。
梨はドクターストップがかかってしまいましたが、ちゃっかりと林檎をゲット。
胃痛癒えて林檎の来る嬉しさよ
当時では禁断の、お医者さんから患者への贈り物でした。
どんな時も平気で生きる
子規の随筆「病牀六尺」には以下の一文があります。
悟りという事はいかなる場合にも平気で生きていることであった。
これまでのエピソードからも病気を平気で過ごし、楽しんでやろうという気が感じられますね。
そんな子規の事を慕って、絶えず食べ物や手紙などの贈り物が届けられていました。
子規の門下生の長塚節(たかし)から旬の栗をもらって一句。
栗飯や病人ながら大食い
この句は子規が亡くなる1年前に詠まれたもの。
これでもかと言うくらいに、秋の味覚を楽しんでいますね。
ちょっと図々しい所もあるけれど憎めない、達観しているかと思えば妙に子供っぽい。
そんな彼の事を、みんな愛してやまなかったのでしょう。
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まとめ
今回は正岡子規の大食いエピソードについて紹介しました。
- 家賃を越えそうなくらい刺身を食べていた
- 夏目漱石にウナギを奢らせていた
- 医者から止められても果物を食べ続けた
「夭折」というイメージが強くありますが、子規は自分に起きた全ての出来事を楽しんで生きていました。
彼の作品を読みたくなってきたなあ。
作者のエピソードは、本人の人間性が出てとても面白いものが多いです。
エピソードを知った後に、作品を読むとまた違った目線で本が読めるかもしれないですね。